Career change
success stories
転職成功者インタビュー

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周 謙さん

前職
事務職
転職企業
株式会社イエムラ(金属製品メーカー)
職種
海外事業責任者候補

鍛えた語学力と持ち前のビジネス感覚で、海外事業責任者候補に抜擢

Q1

日本に転職しようと考え始めたきっかけは何ですか?

もともといつか海外で働いてみたいと思っていました。在学中は、英語を専門に勉強しましたが、趣味で日本語の勉強も何年間続けてきたので、仕事で使わないと勿体ないと思っていたのこともあります。今までの自分からもっと進歩したい、グローバルで活躍したい、そんな思いと、日本の文化や環境に対する好意が最初のきっかけだと思います。

Q2

そのとき、どんな懸念点や不安な点がありましたか?

やはり「私でも出来るのかな」という不安です。文学部出身で、大学四年間で「まともな」インターンシップや職歴などそういう経験全くなくて、本当にありのままで楽しく生きてきただけ(笑)。専門的なライセンスとか何もなく、「英語と日本語が話せる」ということだけが唯一の長所でした。しかも私より日本語と英語ができて、もっと魅力的な条件を持っている人は山ほどいます。自分は何をやりたいのか、そして自分にそれができるのか、正直あまりわからなくて、自信がありませんでした。

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Q3

日本に転職しようと決意できた、一番のポイントは何ですか?

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簡単に言うと、「年齢」です。転職を決めたのは28歳になる前でした。「そろそろ勇気を出してやりたいことをやらないと、もうこれから一生できないかも」という危機意識です。「やってみないとわからない」「できないじゃなくてやらないだけ」という母からの教えが、その時頭の中で響きました。私は自分の中で、「35歳までに何かでっかいことをやりたい」という夢を持っています。それが「日本への転職」をきっかけに、現実になる可能性があるかもしれないと感じていました。「やらなくて後悔したというより、やってよかったにする」ということですね。私の座右の銘は、「忖度せず、後悔せず、人と比べず自分の道を貫き通す」ですので、この言葉を思って勇気を出してみただけです。

Q4

日本で働きはじめて、仕事や職場文化・労務環境など、苦労したことはありましたか?また、どのように乗り越えたかも教えてください。

日本人の「忖度文化」が大変だなと思いました。物事に対して、違う意見が持っていても、必ず遠回りして「礼儀」を先行してから言うのが習慣です。その結果は、会議がどんどん長くなり結論が出せない、もしくは食い違いがあるのに最後の最後まで発覚できないなど、私にとってモヤモヤするところはいっぱいありました。前職は台湾にある日系企業で、すでにこのような傾向はありましたが、いざ日本にきてみるとやはりこの文化の違いを実感しました。「台湾人・台湾の女性は強いですね」と、私だけではなく、同じ日本で働く台湾の友達も周りによく言われているようです。このような(言いたいことあるのに言えない)環境に、とても苦しんでいる方もいます。私はまだ、「乗り越えた」と言い切れませんが、少しだけ考え方を変えて対処しています。「自分は一体何のために日本に来たのか」「日本にいる私は、どんな役割を担っているのか」、この二点を常に心の中に置いてあることです。
私は、「新しい世界で新しい挑戦をしたいため」日本に来ました。そして、周りにとって私は「外国・海外」との唯一とも言えるくらい「接点・橋」にもなります。そう考えると、「日本のやり方」を勉強しつつ、「日本の外からの視点」としても、しっかり周りにアピールすべきだと思います。柔道の受け身みたいに、柔らかく変革の力として周りと接しています。そうすると、周りの人たちとしても受け入れしやすいですし、自分にとってもとても勉強になることがたくさん出てきます。

Q5

現在の仕事について、どんなお仕事を担当し、どんなことにやりがいを感じられていますか?

今会社では事業開発部に所属し、人材採用・育成、そして海外新規事業・経営戦略を担当しています。私は、日本に転職しようと思い始めた時、「自分がなりたい人物像って何だろう」と、大変模索していました。
その時、リージョンズの海外人材担当の陳さんがとても親切で、何度も何度も「目指している方向」について細かく深く相談を乗ってくれていました。そのお陰で自分が求めている「将来」の形が徐々にはっきりしてきました。それは「人々に役立つ架け橋になりたい」ということです。そして、今会社で担当している仕事はまさに、社内で縦軸の架け橋になり(経営者と現場)、日本と海外という横軸の架け橋にもなっています。今後は更に、経営層・起業などを目指しキャリアマップを描いており、そのために今はMBAも通っています。「描いているリーダーとしての人物像に自分が徐々に近づいていく」のは、とてもやりがいを感じます。

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Q6

台湾から日本に来て、生活・プライベート面で変化はありましたか?

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まずは「一人暮らし」をすることですね。台湾では実家暮らしの期間が長かったので、ずっと母が色々世話してくれていました。しかし独り身で日本に来て、仕事もMBA学校も通いながら、家事や料理も全部自分でしなければなりません(もちろんですが(笑))そんな時は海外での生活は大変だ、寂しいなと、時々感じております。ただそれを乗り越えるのもそんなに難しくなく、「わからないならわかる人に聞く」「足りないなら獲りに行く」、この二つしかないなと思いました。例えば、今住んでいる東北地方はとても広いので、台湾で一度も免許取ろうと思えなかった私も、昨年自動車学校に通って、日本の免許をゲットしました!積極的に友たちを作り、困ったときはLINEとかFacebookとかで聞いてみるのも一つの手です。その面から見ると、一番変わったのは「勇気を持って行動してみる」ということでしょう。

Q7

東京や大阪など、日本の大都市ではなく今の都市を選んだ理由は何ですか?

実は元々は、場所を選ぶというより、仕事の内容で今の会社を選びました。せっかく海外に出て仕事することになるので、「自分が成し遂げたいことを達成できるような環境」を選びました。しかし来てからやはり田舎だと、少しびっくりしました(笑)
でもそれより深く感じるのは、地方と都会の差です。大都会は、チャンスや華やかな物事などが多いですが、人と人の距離がとても遠いと感じています。例えば、今通っているMBA学校の本校は東京です。東京校は、同期(同じ年に入学する人)が何百人もいて、2~3年間同じ学校通っても、卒業するまで一回も会ったことない同期が何人かいるのもおかしくない状況です。それに比べて、仙台校は毎年同期がちょうど一クラス分、30人から40人になります。そうすると、学校に通っているうちに自然とどんどん絆ができ、同期だけではなく先輩と後輩との繋がりもとても深めやすいです。「仙台は狭いですね」とよく会話しています。知り合いみんな繋がっているみたいな感じです(笑)独りぼっちで知らない土地で戦うより、たくさんの人に支えられて、たくさんの仲間ができているという環境が、私にとってとても魅力的です。

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